「ひな祭りの日に児童会なんか開かなくたっていいのにねえ」
小学五年生の田代順子と加藤久江が校門を出たのはもう日暮れ近いころだった。
山の影が地面を這うように伸びて、夕闇があたりを包みはじめていた。
「本当よ、ひな祭りのご馳走つくって、もうみんな待っているころだわ」
杉林のなかのあちこちにまだ消え残っている雪が白くぼうっと光って、夕風が枝を鳴らしてとおりすぎた。
二人が歩いているこのあたりは、墓地になっていて、雪のなかに墓石がいくつか見える気味の悪いところである。
「あらっ、あれ何かしら?」
突然、久江が立ちどまった。
「えっ、なあに?」
「ほら、あれよ。おひなさまみたいだけど。そうよ、おひなさまだわ」
近づいてみると、二つの美しい「内裏びな」で、高さ十五、六センチもある立派なものだった。
「忘れものかしら」
「ずいぶん立派なものね」
「ねえ、一つずつ持って帰ろうか」
「そうしよう」
二人は、それぞれおひなさまを抱きあげた。
そのとき、順子は、女の子のすすり泣く声を聞いたように思った。
「あら、だれ?泣いているわ」
順子は、あたりを見まわした。
しかし、黒々とした杉林と白い雪のほかには何も見当たらなかった。
「変な順子、だれもいやしないわよ」
「そうね、風の音かもね…」
そう言いながら二人がその場を去ろうとしたときに、順子の耳に、こんどこそはっきりと、
「持っていかないで、もっていかないで…」
泣くように訴える少女の声が聞こえた。
順子は、その声を聞いた瞬間、身体が凍ったように動けなくなってしまった。
「順子、どうしたの?」
少女の泣くような声は久江には聞こえないようだった。
「あ、私、やめるわ。おひなさま持って帰るの」
「あら、もったいないわ」
「でも、やめるわ」
「そう、じゃあ、私がもらっていっていい?」
順子は、久江にやめるように言おうとしたが、なぜか声がでなかった。
あとになってみれば、そのとき、けんかしてでも止めればよかったのだが…。


その晩の十一時ごろ、順子は、激しい半鐘の音に目を覚ました。
「火事だ?火事だ!」
と叫ぶ声が表から聞こえてくる。
「どこ?火事はどこなの?」
「加藤さんのとこらしいよ」
「えっ、久江の家?」
順子は思わず飛び起きた。
あの杉林で聞いた、気味の悪い声が頭のなかを突き刺すように思いだされる。
順子は、何か恐ろしい予感におびえながら、家の人と一緒に飛び出した。
ものすごい炎が久江の家を包んで、まるで地獄のようだった。
大騒ぎする人々の間から、一人の少女が飛び出てきた。
「あっ、久江!」
パジャマ姿の久江は、髪をふり乱して、まるで幽霊のようだった。
そして、順子に抱きつくと、
「燃えたのよ!おひなさまが燃えたのよ!」
と、放心したように言いつづけるのだった。
「な、なに? 久江!」
「私は聞いたの。女の子がすすり泣く声を…。その泣き声が、いつのまにか家のなかに入ってきて、隣の、おひなさまを飾ってある部屋の戸をあける音がしたの。私、怖かったけど、そっとふすまをあけてのぞいたの…」
「な、なにが見えたの?」
「のぞいたら…、あの内裏さまが急に燃えはじめるのを見たのよ、ああ…」
二つの内裏びなが置かれてあった雪の下は、隣村で火事があったとき、逃げ遅れて焼け死んだ少女の墓だったのだ。



その女の子の両親は、娘が欲しがっていた内裏びなを買って、お墓に供えたということだった。
女の子の家が焼けたのは午後十一時、久江の家が焼けたのも十一時だった。
ひな祭りを待たずに死んだ女の子は、自分の墓に供えられた大切な内裏びなが、久江に持っていかれるのを悲しんだのだろうか。
その悲しみのあまり、久江を呪い、家を燃やしたのだろうか。
警察でいくら調べても、火事の原因はとうとうわからなかった。
しかし、順子も久江も、女の子のすすり泣く声を聞いたのは確かだった。