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「麻雀が本当にうまくなると、牌をフランネルの上に滑らしただけで、その牌がなにかわかるんだぜ」
私がまだ麻雀を習いたての頃、その道の先輩から、こんな夢みたいな話を聞かされたのを覚えています。
「本当かい?すごいもんだなぁ」
その頃の私は、ろくに盲牌もできないありさまでしたから、半信半疑で先輩の話をありがたく拝聴していました。
彼は得意そうに鼻をうごめかし、
「本当さ。牌にはいろんな文様が掘り込んであるからね。白板のようになにも彫ってない牌なら、フランネルの上をほとんどなんの抵抗もなく滑って来る。九索は縦にはよく滑るけど、横に引くと抵抗がきついんだ。九筒は縦にも横にも、どこかまるーくひっかかるところがある。それやこれやで本当の名人は牌を軽く滑らせただけで、その牌が何か、みんな読めちゃうんだ。キミも早くそうならなきゃ…」
たしかに理屈としては、そんなことも可能かもしれません。
しかし人間の指先は、そんなわずかな差異を感じわけるほど鋭敏なものでしょうか?
私は根が信じやすいタチですから、この話を聞いて何度か実験してみたのですが、一番やさしそうな白板でさえ、とても私には感じ分けることができません。
そのうち私の麻雀もいくらか上達し、事情がよくわかるようになると、
「あんなこと、できっこない。さては、あいつにかつがれたのか」
と真相を知って苦笑し、いつの間にかこの話自体すっかり忘れてしまいました。
もし思い出すことがあったとしても、それは一つのジョークとして、例えば剣豪の刀の鍔がカチンと鳴っただけで目の前にいる人の首が落ちていた、といった話と同じように、いかにもありそうなバカ話として、だれかに語ったことが一度や二度あったかもしれません。












ところが一昨夜のこと…。
私は都内の旅館で親しい仲間二人と、それからメンツが足りないので宿の主人に加わってもらい、夜の九時過ぎからジャラジャラと卓を囲み始めました。
雨がシトシトと降りこめ、妙にものさびしい夜でしたね。
最初の半荘がもう終わろうという頃だったと思います。
私は七対子の闇聴で白板を待っていました。
言い忘れましたが、この仲間とやる麻雀はいつもマナーが厳格で、特に先自摸は絶対に許されません。
上家が手間取っていても、せいぜい牌を河の上で滑らして自分の近くに引いておくだけの約束です。
その時も上家が考え込んでいたので、私は、
「遅いぞ。新聞!新聞!」
などと言いながら、指先で牌を滑らせ手元に引き寄せたのですが、その瞬間、"あ、ひっかかる" こう感じたのです。
牌がどこかねばっこく、卓に張ったフランネルにまとわりつくような感触でした。
手番が来て開いてみるとそれが白板で、私は自摸和りを喜びながらも、心の中で、
「へえー、白板がねばるのか。おかしいな」
と思って、急に昔聞いたあの話を思い出したのです。












これがたった一回の体験ならば、すぐに忘れてしまうのですが、その夜はどうしたわけか白板を待つケースが多く、そのたびに指先に神経を集中していると、白板のときにはかならず微妙な感触があって、それとわかるのです。
私は心中ひそかに興奮しました。
「あの話は本当だったんだ。オレにも白板がわかるようになったらしい。これからは滑らしただけでいろんな牌がわかるようになるかもしれないぞ」
こう思うと同時に、もう一方では、
「世間には、どんな名手がいるかわかりゃしない。滑らしただけで牌がわかるやつと勝負をして、オレが勝てるわけないな」
あらためて畏怖の気持ちを抱いたりもしました。
結局この夜の勝負は、白板がよく読めたせいかどうか、私のひとり浮きになったのですが、ゲームの終わったあとで、私は牌をつまみながら、ふと漏らしました。
「この白板、滑らせただけでわかるね。糊でもついているみたいな感じがして…」
すると旅館の主人が思い出したようにカレンダーを見上げて、
「今日は五月二十六日でしたね?」
「ええ…」
私が怪訝な顔で聞き返すと、心なしか、主人の顔が青ざめています。
「それが…どうかしましたか?」
「何度も何度も洗ったはずなんですけど、変ですねえ」
「……?」
「いやな話ですけど、去年の今日、この部屋で麻雀をやっていて、死んだ人がいるんです。血をドップリと吐いて…」
「本当ですか?」
主人がゆっくりとうなずきながら、
「白板が四枚血でベトベトにぬれちゃって…」