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「べつに動機って、ないわ。歩行者天国へ行ったらヒヨコをうっていたの。なんだかかわいくなって三羽買ってきたのよ。それがだんだん大きくなって…。二羽は死んじゃったけれど」
女は食卓のパンをちぎっては白色レグホンのメス鳥にエサを与えていた。
レグホンは驚いたような顔で周囲を見まわしながらエサをついばんでいる。
「ペットがニワトリとはめずらしい」
「意外とかわいいものよ。それに、このレグちゃん、頭がわるくないわ」
「そうかね」
「私が外から帰るって来ると、足音を聞いただけでちゃんとわかって、コッコ、コッコと、あまえ声をあげて鳴くのよ」
「部屋の中で飼ってて、家主に文句をいわれないのかい」
「このアパートは家主じゃなくて管理人だからね。鼻ぐすりをきかせてあるから大丈夫よ」
「なるほど」







男は一か月ほど前に女と知り合い、今では週に一、二度女のアパートに訪ねて来ては泊まっていく。女は三十二歳。月賦デパートに勤めるハイ・ミスだが、ものごとにこだわらない性格らしく、自分の年齢について深く気にやんでいるふうもなかった。部屋のすみにボロくずを敷いたダンボールの箱があって、そこがレグホンの寝床らしい。












「このトリ、タマゴを生む?」
「生むわよ、たまに。あたしは食べないけど」
女はよほどこのニワトリが気に入っているのだろう。
男が訪ねて来ているときでさえ、彼女の関心は男よりニワトリのほうに余計に向いているように思えた。
この家では食事をするときもニワトリと一緒だ。
ベッドで抱き合うときも、そばでレグホンがバタバタと羽根を鳴らしていた。
男は閉口したが、女の城に訪ねて来ている以上、そう贅沢は言えなかった。
二人の交際が長びくにつれ、男は妙なことに気がついた。
女の仕草が少しずつニワトリじみてくるのである。
たとえば、駅で待ち合わせをする。
女が先に来て待っているとしよう。
すると人混みの中でキョロキョロと前かがみになって待っている姿が、どことなく、あのレグホンに見えてくる。
女にはおくれ毛をかきあげる癖があったが、その手つきもニワトリが爪先で胸毛をかきあげる動作にそっくりだ。
そればかりではない。
男が一番滅入ってしまうのは、女のまなざしが、ニワトリのキョトキョトした目つきに少しずつ似てきたことである。
「ペットは飼い主に似てくるというけど…」
「そう。レグちゃんも私に似て、わりとのん気で大ざっぱなタチね」
「飼い主の方がペットに似るってことはないのかな」

「あるかもしれないわ。どう?あたし?」
「うん。このごろ少しずつ似てきたような気がする」
男は苦笑いしながら本音を吐いた。
「本望だわ」
こう言って女はうれしそうに笑った。

          ☆

日がたつにつれ女の目つきはますますニワトリに似てきた。
普通、人間の眼は上からまぶたがおりてきて閉じる。
ところがニワトリは下から下まぶたがあがってきて眼を閉じる。
女のキョトンとした目つきは、ともすれば下から閉じるように見えた。
そして開いた目はいつも驚いたように一点を凝視している。
男は、飼い主のこの顕著な変化にいささかたじろいだが、それをとやかくいうと、この気楽な関係にヒビが入りそうな気がして口をつぐんでいた。







男がアパートに来る日が次第に多くなり、いつのまにやら同棲に近い状態になった。女はある日笑いながら、「あなたも、このごろ、レグちゃんに似てきたみたい」「バカを言え」男は、それでも朝ひげを剃るときなど、自分のまぶたをパチパチと閉じあわせてみた。心なしかまぶたが下からあがって来るような気がして、ゾッと身ぶるいをした。レグホンはエサがいいので、よくタマゴを生んだ。女は、「あたし、いやよ。友だちを食べるみたいで…」こういって、けっしてそのタマゴを食べようとしなかったが、男は女の目を盗んで時おりそのタマゴを食べた。彼にしてみれば、タマゴを食べることが、自分とニワトリとの同化を防ぐ "あかし" のような気がしたからである。女は、男が一緒に暮らすようになっても少しも遠慮することなくレグホンを溺愛した。



















ニワトリはそれをいいことに部屋の中をわがもの顔で歩きまわる。
二人が眠っているベッドにももぐり込んできて邪魔をする。
たまに静かにしているかと思えば、二人の会話を、あの一点凝視の目つきでキョトンとしながら聞き入っている。
「あたし、からだの調子がおかしいの。もしかしたら、赤ちゃんかも…」
「そいつは弱ったな」
「ええ…。でも、なんとかするわ」
女はこのときもニワトリの手つきでおくれ毛をかきあげ、それから眼を下から上に閉じて眠った。


          ☆

その翌日は休日だったので、男はタップリ朝寝をした。
ベッドの中で女のからだをまさぐろうとすると、口ばしで手の甲をいやっというほど突かれた。
「痛いじゃないか」
毛布をめくると、レグホンが男をバカにしたような目つきで見つめている。
ムラムラと怒りがこみあげてきて、手をニワトリの首に掛けた。
ニワトリはあっけなく首を垂れた。
毛布の下に大きなタマゴが転がっている。
「こんなところに生みやがって…」




















窓の外に投げようとすると、廊下に足音がして買い物に出ていた女が帰って来た。
あわててニワトリを隠そうとしたが、運わるく手がすべってタマゴが床に落ちた。

バチャン!
カラが割れて、中から人間の胎児が流れ出した。
「あら、いやだ。あたしのタマゴ割っちゃって…」
「キミのタマゴだったのかい?」「そいた。きのうの夜中に生んだの。でも、いいわ。あなた、どうせ結婚する気ないんでしょ。赤ちゃんはいらないし…」女はキョトンとした目つきで割れたタマゴを見つめている。もう疑いようもなくニワトリの目つきだ。「キミ、すっかりニワトリになってしまったんだな」「そうらしいのよ」レインコートを脱ぐと女の体は白い羽毛におおわれ、なにもかもすっかりメス鳥になりきっている。男は、「この女ともお別れだな」と思った。だが驚いたことに、ドアに近づく男に女がいった。「あなただって…」男はあわてて鏡を見た。トサカが頭にたれ、胸毛は白い羽毛に変わっていた。「ああ、ヘンな女とつきあってしまった」男は絶望のあまり目を閉じた。まぶたが下から上へあがってきた。