

「なかなか快調じゃないか」
商業デザイナーの難波竜夫氏(二十八歳)は、買い替えたばかりの新車を仲間にほめられ上機嫌だった。
昭和四十年六月十一日、甲府での仕事をすませた彼は、仲間二人を乗せて夜になってから東京に戻った。
「一杯やろうじゃないか」
酒好きの彼にとって、酒という言葉は大きな魔力に似た力を持っていて、咽頭から手が出そうだった。
だが、彼は今度新車を買うとき、妻の洋子さん(二十四歳)に、車を運転するときは絶対酒を飲まないことを約束していたのだ。
前方から、センターラインを越えて走ってきた車の上向きライトが彼の目に飛び込み、一瞬、目先が暗くなり、なにかに当たったショックに、彼はあわててブレーキを踏んだ。

「しまった!」
フロントガラスに飛び散った血と、口から血を吐いて倒れている洋服姿の中年婦人を見たとき、彼の全身の血は凍りつきそうだった。
《くそっ、あの車さえ来なかったら…》
彼は取り調べを受けているとき、フロントガラスとドアにべっとりとついたどす黒い血と、倒れて死んでいた婦人の姿を思い出しながら、ライトを上向きにして突っ走ってきた車をうらんだ。
運転免許をとって六年、彼は一度も事故を起こしたことがなかったのだ。

彼は長い取り調べにへとへとになって家に帰ると、車体についた血をきれいに洗い流し、眠っている妻は起こさずに、そっと床に入った。
「ううっ…ううっ…」
彼は眠ってまもなく、頭を割って血だらけになった女に追いかけられる夢を見た。
それはさっきの中年婦人のようでもあり、また妻の洋子のようでもあったが…。
女は、メチャクチャになった不気味な顔を彼に寄せ、血だらけの手で彼の首をしめつけた。
彼は必死に逃げようとするが、足がもつれて動けない。
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「あなた、あなた!」
彼は、妻に揺り起こされた。
重い目をあけると、妻は真っ青な顔で、口もとの筋肉を痙攣させていた。
何か言おうとするのだが言葉にはならないようだった。
「どうしたのだ?」
彼が重い頭をたたきながらベッドを降り、タバコの火をつけようとすると、妻はいきなり彼の手を引っ張って家を出、車庫に駆け込んで車を指さした。
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なんということだ。
クリーム色の左ドアとフロントガラスに、どす黒い血がべっとりとついているではないか。
その血のつき方は、昨夜のそれと寸分違わぬものだった。
「不思議だ。昨夜洗い落としたのに…」
彼はわきのバケツを見た。
なかには血の色をした水と、汚れた布がそのまま残っていた。
《この血はどうして…》
彼は恐怖におののきながら心の中で叫んだ。
そして、それからというもの、ナゾの血はいくら洗い落としても、一晩すぎると同じ場所に同じ形でついているのだった。

「よし、塗りかえよう」
すっかりノイローゼ気味になっていた彼は、ついに車を塗りかえに出した。
三日後、車はブルーに塗りかえられてきた。
「君、この車になにか不思議なことが起きなかったかね?」
彼は気になったので修理工場の者に聞いてみたが、何事もなかったという返事だった。
しかし、安堵の胸をおろしたのも束の間、翌朝になると、妻の悲鳴が車庫から聞こえてきた。
きれいに塗りかえた車の同じ場所に、またしてもどす黒い血が…。
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「その身元のわからない女の人を、あなたたちで手厚く葬ってあげたら」
難波氏が思いあまって相談を持ちかけた妻の母親は死んだ女が浮かばれないためだと、信心家らしいことを言った。
彼にはそんなこと迷信にしか思えなかった。
しかし、いくら洗っても、塗りかえても、またついているナゾの血を消すため、やむなくその意見に従い、中年婦人を手厚く葬ってやった。
そして、その翌日からは、車体にナゾの血がつかなくなったのを見て、難波夫妻は、いまもある怨霊の恐ろしさに、ただ呆然としていた。

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