家内を殺そうなんて、そんなだいそれたことを考えたことは一度もなかったんですよ。
これは本当です。
考えてみれば、ガミガミと口やかましいばかりの女で、金遣いは荒いし、家事はろくにやらないし、やさしいところは一つもないし、なんの取り得もないやつでしたからね。
一生の不作です。
こんな女とよくもまあ四十年も一緒に暮らして来たものだって、今思うと自分の辛抱のよさがつくづく不思議になりますよ。
でも、殺人なんてぜんぜん頭に浮かばなかった。
私は意気地なしだったんですね。
それを教えてくれたのは、あの男なんです。
あの男と言ってもご存知ないと思いますけれど…。
先生と呼んだ方がよろしいのかな。
白を持つのはいつも彼の方ですからね。
初めのうちは「この手がいい。これは俗手だ」なんて、碁の手筋を教えてくれるだけでしたがネ、そのうちにいろいろと人生の教訓まで垂れてくれるようになりましてね。
もし彼に会わなかったら、私もこんな気ままな余生が送れたかどうか…本当に感謝しているんですよ。
ええ、碁は昔から好きでした。
しかしサラリーマンのころはなかなかいい相手に恵まれなくて…。
私自身、偏屈で人づきあいのわるいほうですからね。
だから本気で碁が好きになったのは仕事をやめ、彼と会うようになったからなんです。
囲碁というのは奥行きの深い遊びでしょう。
勉強すれば勉強するほどあきるということがありません。
すっかり夢中になって、朝から晩まで、晩から朝まで、それはもう四六時中碁盤にしがみついていたい心境でしたよ。
家内にはそれがおもしろくなかった。
「そんなくだらない遊びをするより庭掃除をしろ」とか「職安にでも行って、なにか家計のたしになる仕事を捜せばいい」とか、口うるさく指図して、それでも私が知らんぷりをしていると、ヒステリーを起こし馬鹿呼ばわりをして碁盤を蹴とばすんですよ。
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見るに見かねて、あの男が私に知恵をつけてくれました。
「あなたは意気地がなさすぎる。それが勝負にもよく現れている。勇気さえ持てば人生をもっと楽しむことができ、碁も強くなる」
彼がなにを言いたいのかピーンとわかりましたよ。
それでも私は三日三晩悩み続けました。
すると、あの男が碁を打ちながら何度もけしかけたんです。
「さあ、勇気を出して。相手を殺さなければあなたが大損をするだけですよ」
で、私もとうとう決心をしました。
結果はご承知の通りです。
家内はガス風呂の事故で死にましてね。
でも日本の警察は無能じゃありません。
すぐに私はつかまって、ややこしい裁判のすえ八年の刑を言い渡されました。
恩人を裏切るわけにはいきませんからね。
それに…彼の忠告は本当でしたし…。
なにもかもすっかり読み切っていたんですね、あの男は。
たいした人ですよ。
口うるさい女はいなくなったし、この格子戸の中にいれば生活に不安があるというわけじゃない。
今は悠々と碁を楽しんでいればそれでいいんですから。
うれしいことに、夜になるといつも彼が訪ねて来てくれるんですよ。
あ、ほら、彼がやって来ました。
さっそく始めましょう。
「三、四黒」
「四、十六白」
おや、彼がどこにいるかって?
見えないんですか。
ほら、白を握って壁の中にすわっているじゃないですか。
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彼がなにを言いたいのかピーンとわかりましたよ。
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すると、あの男が碁を打ちながら何度もけしかけたんです。
「さあ、勇気を出して。相手を殺さなければあなたが大損をするだけですよ」
で、私もとうとう決心をしました。
結果はご承知の通りです。
家内はガス風呂の事故で死にましてね。
でも日本の警察は無能じゃありません。
すぐに私はつかまって、ややこしい裁判のすえ八年の刑を言い渡されました。
恩人を裏切るわけにはいきませんからね。
それに…彼の忠告は本当でしたし…。
なにもかもすっかり読み切っていたんですね、あの男は。
たいした人ですよ。
口うるさい女はいなくなったし、この格子戸の中にいれば生活に不安があるというわけじゃない。
今は悠々と碁を楽しんでいればそれでいいんですから。
うれしいことに、夜になるといつも彼が訪ねて来てくれるんですよ。
あ、ほら、彼がやって来ました。
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「三、四黒」
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おや、彼がどこにいるかって?
見えないんですか。
ほら、白を握って壁の中にすわっているじゃないですか。
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