


その絵を見たとき、今井宏子(仮名・十四歳)は瞬間なんとなくいやな気がした。
「すごい迫力だろう。作者はわからないが、これを描いた画家は天才的な腕だよ」
父親はそう言うと、インドから買ってきた一枚の油絵を宏子の部屋の壁にかけた。
父親は貿易商。
絵が趣味である。
仕事で海外へ行くたびに掘り出し物の絵画を見つけては買ってくるのだ。
しかしなんという不吉な迫力に満ちた絵なんだろう…。
地平線の彼方にまさに沈もうとしている血のような真赤な
太陽。
その残照に染まった太い大樹の下で、頭にターバンを巻いた一人のインド人がひざまずき、祈りを捧げている絵だった。

インド人の皮膚は、ひからびたミイラのような色だ。
骨が飛び出し削り取ったような頬。
そして黄色く濁った異様に大きい目。
「いやだわ、こんな絵…」
宏子はそう思った。
昭和四十八年七月。
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網戸をつけた窓をあけ放っても、風は入ってこない。
真夜中、あまりの寝苦しさに宏子はふと目を覚ました。
地虫のジーッという声が耳についた。
と、その地虫の鳴き声にまじって遠く低くもう一つの別の声が宏子の耳に聞こえてきたのだ。
宏子はギョッと耳をすました。
「オレが死んだとて、だれが泣いてくれよう。オレが死んだとて、だれが泣いてくれよう」
声はそう言っていた。
すすり泣くような男の声でそう言っていた。
すぐ近くのようでもあり、遠くのようにも思える呪文めいた声。
まるで宏子に向かってささやきかけるようなその声。
宏子はタオル掛けを、頭からかぶると耳をふさいで震えていた。

恐ろしい呪文は次の夜も聞こえた。
三日目の夜がきた。
宏子は恐怖で眠れなかった。
やがて真夜中、またしても呪わしいあの声が聞こえてきたのだ。
部屋の中に青白い月の光が差し込んでいた。
激しい恐怖に襲われたが宏子は目をあけて声のする方を必死に探った。
宏子の視線が壁の不吉な絵に向けられた。
その瞬間、宏子は見たのだ。
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チカッと絵の中の一部が変化したのを見たのだ。
目だ。
絵の中のインド人がまばたきをしたのだ。
青白い光を浴びて、まばたきをしたのだ。
「きゃーっ!」
宏子はあまりの恐ろしさに悲鳴をあげた。
高熱にうなされながら、
「絵が…絵のインド人が生きている…」
宏子はうわ言を言い続けた。
「宏子、しっかりしろ。絵のインド人がどうしたというんだ」
心配した父親は言った。
「いや、いや、早くあの絵をはずして…ああ、また、また、声が…怖い…」
父親にはわけがわからなかった。
次の夜、父親は絵を見つめていた。
だが、なんの異常も認められない。
「いったい、宏子は何であんなに怯えているのだろう」
そのとき父親は、はっと顔をあげた。
父親も聞いたのだ。
地の底から響いてくるような不気味な呪文めいた声を聞いたのだ。
「オレが死んだとて、だれが泣いてくれよう。オレが死んだとて…」
父親はゾッとした。
声は絵の中から聞こえてきたのだ。
宏子が言うように絵の中のインド人は生きていたのだ。
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翌日、父親は国際電話でこの絵を売ったインドの画商に絵の出所をたずねた。
画商は言った。
「あの絵は、ジョハンという富豪が描いた絵だと言われているのです。ジョハンは百年前に死んだのですが、極悪非道の金持ちで広大な土地を持っていました。
そこで、何百人の小作人を使っていましたが、小作人がちょっとでも病気になると役に立たなくなったと、虫からのように殺したと言われています。そんな大悪人でしたが、絵にはあんな天才的な腕を持っていたんですよ」
絵の作者は百年前のインドの富豪だとわかった。

「しかし、その富豪が描いた絵がなぜこんなに恐ろしい呪文をつぶやくのか…」
父親にはわけがわからなかった。
じっと絵を手にとって見入っていた。
「おや?」
このとき、父親は、油絵の感じがなんとなく変なことに気づいた。
手でなでてみると、ぺちゃっと指に吸いつくような感触があるのだ。
彼は絵の端をシンナーで拭いてみた。
油絵の下から、茶っぽい画布があらわれた。
なおもシンナーで拭いた。
その手がやがてブルブルと震えだした。
いま、白日のもとに晒し出された、不気味な黒茶の画布!
それは……それは人間の皮膚だったのだ。
不吉な絵は人間の皮膚をはぎとった画布に描かれてあったのだ。
「の、呪われている!この絵は呪われている!」
父親は叫んでいた。
ジョハンは殺したと小作人の皮膚をはぎとり、その上にこの不吉な絵を描いていたのだ。
彼はすぐにこの絵をお寺に手厚く葬った。
不思議なことに、宏子の熱はその日から下がった。

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