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「これ、砂が落ちるまでに、ちょうど二分かかるんです。体温を計るときに便利ですよ」
隣のベッドに寝ている男がささやいた。
ガラスの筒を倒すと薄曇色の流砂が音もなく滑り落ちる。
私はそれを見ながら体温計を口にくわえた。
ガラスの冷たさが唇にここちよい。
このぶんでは熱は四十度をくだるまい。
体はベッドにキッチリ固定され、激しい疼きだけが肢体のありかを教えてくれた。

隣の男が細い声で尋ねた。
「ええ。あなたも?」
「そうです」
今朝がた山手線の架線事故があって、電車が数十分遅れた。
都会に住むものならば、きっとご存知にちがいない。
ラッシュアワーに事故が重なると、どれほど "すばらしい" 混雑となるか…。
ターミナルのA駅は、私鉄から送り込まれる乗客でホームも地下道もみるみるふくれあがり、とりわけ狭い階段のあたりでは数百の黒い頭が押しあい、へしあい、帯となって巨大な怪物のように蠢いていた。
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「危険ですから列を作って順序よくお進みください」
駅員が声をからして呼びかけるが、先を急ぐ乗客たちは一歩でも早くホームに出ようとして争う。
ギイギイと階段のきしめく音が不気味だ。
「おい、押すな」
折しもまた新しい電車が到着してネズミ色の群れを吐き出した。
列の背後から津波のように黒いうねりが起こり、それがそのまま重い流れとなって階段の際まで走った。


「危ない!」
「助けてっ!」
階段まで達した津波は一瞬ためらうように渦を巻いたが、たちまちふくれあがり、端から階下目掛けてドウと崩れ、あっという間に黒い群れを巻き込み、そのままグルグルと車輪がまわるように速度を増してホームへなだれ落ちた。
足を踏ん張ろうとした途端、その足がポキリと大きな音をあげて折れた。
それから先は自分で自分がどうなったか、それさえも思い出すことができない。
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「あなたはどこを怪我したんですか?」
私が尋ねると隣の男は黙って砂時計を顎でしゃくった。
砂時計の砂粒が急に大きくなった。
ネズミ色の粒と思ったのは、みんな見慣れた乗客たちだ。
狭い通路を目がけて押し合いへし合い殺到する。
私の顔があった。
隣の男の顔があった。
男は階段の上で左右から押し込まれ、体を捻じ曲げ二つ折りになったまま堆積した群れの中へ落ち込み、二度、三度首を痙攣させて息を失った。

そのすぐ近くで私の下半身が見捨てられた人形のようにくじけていた。
暗い病室。
熱い体。
白い布を顔に置いた男はどこへ行ったのだろう。
あたりにはだれもいない。
砂時計の中をちぎれた男たちが音もなく落ちて行く。

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