昭和四十四年三月十日、青森県青森市でのことだ。
田代純子さんは、大阪に出張している恋人の山岡賢一郎さんへ、長文の手紙を書いた。
別れてからまだ五日しかならないが、純子さんにはもう一カ月以上も逢っていないようか気がした。
彼女は恋しい気持ちを詳しく書き、最後に署名のかわりに、真紅のキスマークを押した。
そして十一時すぎに、手紙をしっかり抱きしめながらベッドに入った。
そして、純子さんが彼に抱かれた夢を見ながら、寝言を言ってるとき、突然入り口のドアがノックされた。
彼女は楽しい夢を破られた不満を露骨に表しながら、ドアを開けたが…。
「まあ、賢一郎さん…」
廊下に立っている恋人の山岡賢一郎さんの姿を見て、態度をガラリと変えた。
「ねえ、いつ帰ったの、どうして知らせてくれなかったの?」
彼女は彼を招き入れながら立て板に水を流すように問いかけた。
しかし、賢一郎さんは黙って彼女を見つめるだけで一言も口を聞かなかった。
「ねえ、泊まっていくでしょう。私、淋しくてさっき、手紙を書いたばかりなのよ」
純子さんは、上機嫌でベッドをなおすと、彼の服を脱がせようとしたが、
「まあ、どうしたの?」
服についている血を見て顔色を変えた。
賢一郎さんの着ている服は、かなりの泥と血で汚れていた。
彼女は短気な賢一郎さんがケンカでもしたものと早合点して、慰めの言葉をかけながら服を脱がせようとしたが、賢一郎さんはそれを拒んだ。
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そればかりではない。
賢一郎さんは一言も喋らないまま、部屋を出て行ってしまったのだ。
「いじわる…バカ!」
純子さんは冷たい態度の彼に怒って、さっき書き上げた手紙をズタズタに引き裂きながら泣きくずれた。
泣き寝入りした純子さんが不快な気分で翌朝起きたとき、女性の来客があった。
「あなたが純子さんですね?」
女性は彼女に念をおしてから、自分が山岡賢一郎の妹であることを名乗り、
「兄が昨夜八時頃、出先で事故に遭って死亡しました」
と、涙ながらに言った。
「そ、そんな…」
純子さんにはそれが嘘としか思えなかった。
彼女は昨夜十一時すぎに賢一郎さんがここに来たことを話した。
賢一郎さんの妹もびっくりしていたが、
「でも、死んだことも本当なんです」
といって、死亡通知を見せるのだった。
どちらも事実だったのだ。
それにしても、死後数時間たった男が数百キロも離れたところにいる恋人を訪ねてきたなんて、ぞっとする怪談だと言わざるをえない。
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