恐怖夜話

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    「これ、砂が落ちるまでに、ちょうど二分かかるんです。体温を計るときに便利ですよ」

    隣のベッドに寝ている男がささやいた。

    ガラスの筒を倒すと薄曇色の流砂が音もなく滑り落ちる。

    私はそれを見ながら体温計を口にくわえた。

    ガラスの冷たさが唇にここちよい。

    このぶんでは熱は四十度をくだるまい。

    体はベッドにキッチリ固定され、激しい疼きだけが肢体のありかを教えてくれた。






    「あなたも電車の事故ですか?」

    隣の男が細い声で尋ねた。

    「ええ。あなたも?」

    「そうです」

    今朝がた山手線の架線事故があって、電車が数十分遅れた。

    都会に住むものならば、きっとご存知にちがいない。

    ラッシュアワーに事故が重なると、どれほど "すばらしい" 混雑となるか…。

    ターミナルのA駅は、私鉄から送り込まれる乗客でホームも地下道もみるみるふくれあがり、とりわけ狭い階段のあたりでは数百の黒い頭が押しあい、へしあい、帯となって巨大な怪物のように蠢いていた。



    ⭐️美女満載






    「危険ですから列を作って順序よくお進みください」

    駅員が声をからして呼びかけるが、先を急ぐ乗客たちは一歩でも早くホームに出ようとして争う。

    ギイギイと階段のきしめく音が不気味だ。

    「おい、押すな」

    折しもまた新しい電車が到着してネズミ色の群れを吐き出した。

    列の背後から津波のように黒いうねりが起こり、それがそのまま重い流れとなって階段の際まで走った。




    【砂時計】の続きを読む

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    (午後六時)
    ある冬の日暮れどき、町の簡易食堂で若い男が一人落ち着かない様子で夕飯を食べていた。
    彼はN雄といい、ある私立大学の学生である。
    彼は今晩これからやる仕事があって、それがどうも頭から離れないのだ。
    その仕事とはガス管のノブを回し、もう一度元に戻すだけの、簡単な仕事だったが、恐ろしい仕事には違いなかった。
    ただ、その簡単で恐ろしい仕事をやりとげさえすれば、N雄には、S子とのあまい生活が約束されていた。
    彼はS子を愛していた。
    N雄は、ほとんど無意識に時計を見た。
    まだ三時間以上も時間がある。
    気がせいてならない。
    彼は今しがた買い求めた手袋に手を入れ、意味もなく握りしめてみた。
    気をまぎらわそうとして、彼は夕刊を手に取る。
    社会面には“クロロホルム魔"の記事が載っている。
    女一人のマンションを狙って入りこみ、クロロホルムをかがせて眠らせ、その間にドロボウを働くという手口らしい。
    「危険なわりには儲けは少ないんじゃないかな」
    と、N雄は思う。
    彼の仕事には危険がない。
    ふとS子の姿が彼の脳裏をかすめた。
    明日からだれかれはばかることなく彼女を抱けるのだ。





    (午後六時三十分)
    豪華なマンションの一室。
    若い女がテーブルにウイスキーを置いていた。
    白い肌、張りのある眼、胸からウエストにぬける曲線がひどくなまめかしい。
    S子である。
    S子は部屋のすみのアイス・BOXをあけ、中から一本だけ入っている炭酸水のビンを取り出した。
    栓を抜き、睡眠薬を入れ、もう一度栓をしめなおし、アイス・ボックスに戻した。
    彼女もまた、今晩起こる恐ろしい出来事を思っている。
    だが彼女にはその恐怖がどうも実感として伝わって来ないのだ。
    一つには若いN雄と同棲できる楽しさが目の前にブラさがっているせいなのだろうが、それ以上に計画がじつに巧妙に仕組まれているため、自分たちが手をくだしているような気になれないからだ。
    S子はソファに身を横たえ、二時間後にこの部屋で起こるであろうことに思いをはせる。

    時計はたぶん八時半をさしているだろう。
    このソファには中年の紳士が座っているだろう。
    S子のパトロンのA氏である。
    彼はひどくイライラしているだろう。
    いつもの約束どおり八時キッカリにマンションに来たのにS子がいないからだ。
    彼はアイス・ボックスをあけ、炭酸水を取り出し、いつものようにハイボールを作って飲み始める。
    その時に電話が鳴るだろう。
    S子自身からの電話だ。
    「ごめんなさい。ちょっと急用ができて家をあけたの。でも、もうすんだからすぐに帰るわ。冷凍庫に炭酸水があるから…あら、もう飲んでるの?じゃあ待っててね。とても寒いから部屋を暖かくしておいてね。それからあなたのおからだも…」
    A氏は電話を切り、またハイボールをかたむけるだろう。
    いつしか睡魔が襲い、彼は深々とソファに身を落とすだろう。
    時計が九時半に向かって時をきざみ、ガスストーブの火があかあと燃えているだろう…。




    (午後七時)

    S子が家を出る前にもう一度室内を見わたし、手ぬかりがないか確かめていた。
    その時、玄関のブザーが鳴った。
    ドアを開けると見知らぬ男が立っている。
    男は足を踏み入れるとドアを閉め、素早い動作でポケットからハンカチを取り出し、S子の鼻にそれを押し付けた。
    クロロホルムの臭いが漂、S子はよろめく。
    男は気を失ってグッタリしているS子にサルぐつわをかませ、手足をゆわえ、洋間のイスに縛りつける。
    それからゆっくりと室内を物色し始める。
    S子は眠ったまま…。


    (午後八時)
    町の電話ボックスでA氏がダイヤルを回していた。
    だが「リーン、リーン」といたずらに信号音が聞こえるだけで、相手が出るようすはない。
    A氏は受話器を置き舌打ちをしてつぶやいた。
    「どうしたのかな、S子は。今晩は必ず来てくれと言っていたのに…。自分のほうが留守をしているなんて…。まあ、いいや。どうせオレも今夜は行けないんだから」
    電話ボックスを出たA氏は、あわただしく師走の町へ消えていった。
    彼はS子のマンションに行かないらしい。




    (午後九時)

    N雄が白い息を吐きながら町を歩いていた。
    彼は思っていた。
    「今ごろ、S子はどこかで完全なアリバイを作っているだろう。彼女が疑われることはまずないし、疑われてもアリバイが彼女を守ってくれるさ」と。
    遠くにマンションの灯が見えて来た。
    彼はコートの襟をたてる。
    胸が高鳴る。
    いつのまにか手がすっかり汗ばんでいる。

    (午後八時半)
    S子は洋間のイスの上で目をさましていた。
    手足が縛られているので、まるで動きがとれない。
    サルぐつわのため声も出ない。
    彼女はボンヤリした頭で思っている。
    「なんということだ。他人ごとだとばかりおもっていたのに、自分がクロロホルム魔にやられるなんて…。でも、本当ならもうAさんが来ているころなんだが…」
    こう思った彼女の背筋にゾクっとするほどの冷たい恐怖が流れる。
    彼女は目を凝らして置き時計を見る。
    あの時間が近づいているのではないか。



    (午後八時四十五分)
    N雄はマンションのドアの外に立っている。
    のぞき窓のピンクの布を通して室内の光が漏れている。
    ブザーを押したが答えはない。
    「よし、Aは眠ったな」
    N雄は用意の手袋に手を包み、ドアの脇にあるガスの元栓を握る。
    ノブを半回転させ、キッカリ二分待ち、ノブを元の位置に戻す。



    同じ時刻。
    マンションの中ではS子が必死にもがいていた。
    彼女は玄関のブザーを聞いた。
    N雄がついそこまで来ているのを知った。
    だが…。
    「N雄さん。やめて!助けて!中にいるのはあたしなのよ」
    S子は一心にこう叫ぼうとしたが、サルぐつわは堅く彼女の口をとざし、声を漏らさない。
    体を動かすたびに、重いイスはガタガタと音をたてるが、それ以上はびくともしない。
    彼女の目が急に吸い込まれるように一点を見る。
    ガスストーブの火が次第に小さくなり、細くなり、「ボッ」と小さな音を残して消えた。
    恐ろしい沈黙が二分だけ室内を支配した。
    やがて「シューッ」と無気味な音が起こり、鼻をつくにおいが部屋を満たし始める。




    (午後九時四十五分)

    N雄がコートの襟を立てて町を急いでいる。
    ふと見上げた空を流星が大きく横切って消えて行った。
    彼はつぶやく。
    「あれがA氏の最後か。悪くねえ」




    消えた男 (角川文庫)
    阿刀田 高
    2014-09-08




    迷い道 (講談社文庫)
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